介護情報メディア ケアケア ケアラー向けコラム ヤングケアラー・若者ケアラー 【ケアラーが語る:前編】家族だけで家族のケアを抱え込まない社会~経験から見える支援の必要性とは~|介護のミライ会議Vol.3

ヤングケアラー・若者ケアラー

2024-09-06

【ケアラーが語る:前編】家族だけで家族のケアを抱え込まない社会~経験から見える支援の必要性とは~|介護のミライ会議Vol.3

こども家庭庁によれば、ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもや若者のことを指します。
病気や障がい、精神疾患のある家族の介護やメンタル面のサポート、幼いきょうだいの世話など、その形態はさまざまです。彼らは学業や友人関係、自分自身の成長と向き合いながら、家族のケアを担っています。

 

今回、一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会の代表理事を務める持田恭子さんに、ご自身の経験や支援の必要性についてお話をうかがいました。
持田さんの体験を通じて、ヤングケアラーが直面する課題や、彼らに必要な支援について考えていきます。

―何歳の頃から介護に携わっていましたか?

小学校3年生の頃から両親と兄のケアをしてきました。母にうつ症状があり、父はお酒を飲むと暴れてしまい、兄はダウン症候群です。兄の世話は主に母親がしていましたが、母が不在のときには、私が兄をトイレに連れて行ったり、洋服の着脱を手伝ったりしていました。外出時には兄の歩行を介助していました。母が落ち込んだ時には、話を聞いてあげたり、励ましたり、慰めたりしていました。当時は、「ヤングケアラー」という呼称がなく、それが私にとっての日常だったので自分が「介助」や「ケア」をしているとか、特に大変なことをしているとは思っていませんでした。

―そういった状況に置かれている子たちが「ヤングケアラー」として、昨今社会に認知され始めたということですよね。

すべてのきょうだい児が、ヤングケアラーであるとは限りませんが、私のように家族に対して精神的なサポートをしている子どもや若者がヤングケアラーとして社会的に認知され始めました。

今、ヤングケアラーが「介護をする子ども」であると思われていますが、それは誤解です。見守る、大切にする、気遣う、配慮するといったメンタル面のサポートもケアなので、介護だけではなくケアの種類はさまざまです。介護をする子どもがヤングケアラーであるという印象が世間に広まったので「自分は家族の身体介護までしていないからヤングケアラーと名乗ってはいけない」と思い込んでしまう高校生もいます。「ヤングケアラーとは何か」を語る前に、「ケアとは何か」を理解する必要がありますね。

―ありがとうございます。当時、どんな不安や困難を感じていたかうかがえますか?

私自身、当時は不安を感じる暇はなかったし、そうした生活が困難だと認識していませんでした。母親が心因性のうつ症状から「死にたい」と口にすることが多く、息子との心中未遂を何十回も起こしていました。小学校から下校するとき、私はいつも「今日はお母さん、生きているかな」と思っていました。

本来、この時期の子どもであれば、「今日のご飯は何かな」とか「今日は誰と遊ぼうかな」とか考えるのに、私は「母が死んでいたらどうしよう」って想像してしまうんです。兄はとても明るい性格なので、私は兄と二人で母を笑わせたり、楽しませたりして、なるべく母が落ち込まないように気を遣っていました。そういうことを学校で口にしたらいけない、秘密にしなければいけないと当時の私は思っていたんです。その一方で、家族が死んでしまうとか、目の前からいなくなることはすごく怖かったので、取り残される不安が強かったことを覚えています。

―お父さまとの関わりはどうでしたか?

父は仕事で半年以上家を空けることもあったので、母の育児はワンオペだったと思います。小学校の運動会などの写真がたくさん残っているので、忙しい中でも父は学校の行事に顔を出してくれていました。一方で、父はお酒を飲むと家庭内暴力が激しかったので夫婦仲は良くないと子どもながらに感じていました。夫婦げんかをした翌日には必ず母が塞ぎ込んでいました。

―お兄さまのことで周りの反応はいかがでしたか?

私は兄のことを周りの人たちから変な目で見られたり、馬鹿にされたりするのがすごく悔しかったです。幼い子どもが兄を見て「うわっ」と叫び、不思議そうに兄を見ていると、怒りの感情が湧いてきて、常に私は相手に対して怒っていました。兄を「守る」とまでは思っていなかったのですが、そうした偏見によって私も同じような目で相手を見返すといったことをよくしていました。自分にとって兄は家族なのに、それを変な目で見られることがとても嫌でしたね。

―そういった不安や困難にどう対処していましたか?

不安や困難という認識はしていませんでしたが、常にワーストケースシナリオを考えていました。例えば、不謹慎ですが、寝ているときに兄が亡くなってしまう状況を想像して嗚咽(おえつ)するように泣いて耐える力をつけようとしていました。今のうちにたくさん泣いておけば、本当に兄が亡くなったときに泣かないで済むのではないか、きっと耐えられるに違いないと思っていたんです。

そのうち、寝ているときに自分がそのまま布団の中に吸い込まれていって、地球の核のところまで吸い込まれて落ちてしまうような悪夢にうなされるようになりました。今でもその怖さは鮮明に覚えていますし、小学生のときは毎日そんな夢ばかり見ていましたね。ストレスが原因だったと思うんですけど…。

―今振り返って、当時あったら良かったと思う支援はありますか?

自分と似たような境遇の子どもが気軽に集まれるようなところがあったら良かったなって思います。高校生のヤングケアラーが「自転車で行ける距離ぐらいのところに、ちょっとしたカフェみたいな、ほっと一息つける場所があれば行ってみたい」と言っていましたが、当時の私は大したことをしていないと思っていたので、そうしたカフェがあっても行かなかったかもしれません。

大人になってから気づいたのですが、10代のうちから、そういった気軽に行ける居場所があると、20代になっても30代になっても、自力で近しい人たちが集まる場所を探せるようになるんじゃないかと思うんですね。そうした場所に集まって同世代のケアラーに会うタイミングは若ければ若いほど良いものだと思います。

―ヤングケアラーに伝えたいメッセージはありますか?

自分の家族に病気や障がいがあることで、何かが制限されたり、思ったように行動できなかったりすると嫌だなと思うときってありますよね。

でも、嫌だと思うことは家族に対して申し訳ないと思い、そんな自分に罪悪感を持つ子どもや若者がいます。でも、そうじゃないのです。誰もが嫌だなって思う気持ちは持っているので、「嫌だな」と思ってもいいんです。どんな気持ちも持っていていいのです。自由に進学先や就職先を選んでもいいし、結婚することを諦めなくてもいい。家族が大変な思いをしているから、自分だけが幸せになっちゃいけないって思わなくても大丈夫。

自分の人生は自分のもので、家族の人生もまた家族のものなのです。必要なときは助けを求めてもいいし、「1人で家族のケアを抱え込まなくていいよ」と、今を生きるヤングケアラーに伝えたいですね。

持田 恭子

一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会
代表理事

一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会は同じ立場のケアラー同士で語り合う場を提供し、ケアラーが自分の気持ちを整理することから始めた。
その後、様々な年代のケアラーに沿った支援活動を行う。
それらの知識と経験をもとに、ケアラーが家族のケアを家族だけで抱え込まずに、自分の人生を自分らしく生きることができる社会づくりを目指して活動の幅を広げている。