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地域の介護支援

2024-04-11

【インタビュー】こども食堂創立者に訊く、こども食堂の運営で心掛けていることは

地域の子どもやその保護者に、無料または安価で食事を提供しているこども食堂。2023年末時点で、全国に9,000軒以上もあるといわれていて、もはやほとんどの人が一度はその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

そんなこども食堂ですが、いつ、どこで、どのような経緯で始まったのかということまで知っている人は少ないはず。

 

そこで、こども食堂の創立第一人者であり、一般社団法人ともしびatだんだんの代表理事を務める近藤博子さんに、始めた経緯と思いを伺いました。

ともしび atだんだんについて教えてください。

主に「気まぐれ八百屋だんだん」を会場に、こども食堂、寺子屋、さまざまなイベントを開催し、年齢、障がいの有無、国籍を問わず、互い思い合える地域社会を作ることを目指しています。

こども食堂、寺子屋は私が関わっていますが、ほかのイベントはスタッフが中心となって活動をしています。リクエストに応じて、外部の団体に「気まぐれ八百屋だんだん」を会場として提供することもあります。

2009年から2010年にかけて、こういったイベントを行い始め、地域の小学校や児童館とも関わってきました。そうした中で少しずつ地域との信頼を築けるようになり、ようやく「あそこに行って相談すれば、なんとかなるだろう」という存在になりつつあります。

訪れる人の抱える問題をすぐには解決できなくても、福祉サービスを提供する人につないだり、誰かの「こういうことをやってみたい!」というアイデアの実現のお手伝いだったりはできているかと思います。

こども食堂を始めようと思ったきっかけは。

「気まぐれ八百屋だんだん」は2008年、栃木県益子町から届く朝採り野菜の販売から始まりました。元々は宅配サービスから始まりましたが、リクエストに応える形で店舗を構え、営業日を週末限定から徐々に平日に広げるようになりました。

営業を始めてみると、野菜を買いに来たご近所の方々が自然と世間話をし始めるんですよね。それで、他愛のない話をし合える場所を望んでいる人が多いことに気付きました。それから、さまざまな課題や近隣の方々の興味に対して、できることを小さく始めたら、いつの間にか民間型の文化センターのような形になっていきました。

その流れで2012年に始まったのが、こども食堂です。歯科衛生士という仕事をしていることから、健康と食を結び付ける活動をしたいという思いもありました。でも、うちで貧困対策をやろうなんて気はさらさらありませんでした。こども食堂は、ご近所さん同士の助け合いがあれば必要ないと思いますが、現代社会ではそれが失われています。それができるおばちゃんとして、「やれるんだったらやろう」というくらいの感じでしたね。

苦労や大変なこともあったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

もし、すでにこども食堂を開いている人がいたら、その人が作ったルールに縛られていたかもしれません。でも、誰もやっていなかったからこそ、かえって始めやすかったですね。もちろん、始めるにあたって大変なこともありましたよ。

「気まぐれ八百屋だんだん」は居酒屋の居抜き物件で、調理場はあったのですが、湯沸かし器が壊れていて、ガスも使えませんでした。しかも業務用だから、一般的なガスコンロを設置することもできないし、だからといって修理をするお金もない。

とりあえず、卓上コンロで調理を初めて、あとはなるべく火を使わないで済む料理にしました。でも、やれることをやればいいと思っていたので、その辺りも苦にはならなかったです。

それに、こども食堂を始めるにあたって「できるだけお金をかけず、あるものだけを最大限に活用する」という考えが根底にあったので、あまり苦労も感じませんでした。

今は、「ああしなければいけない」「こうしなければいけない」といったように、こども食堂にさまざまな役割が課されているように感じますが、そんなに無理を強いられても、現場は疲弊する一方です。うちの強みは、できることを淡々とやる姿勢だと思います。こども食堂を支援する助成金もありますが、そういったものにはほとんど頼っていません。

どの年代層の利用者が多いのでしょうか?

コロナ禍以前は、子ども同士で食べに来ることが多かったですね。中学生の男の子たちが、部活がない日にここで待ち合わせて食べるなんてことがありました。保育園や幼稚園の帰りに、子どもを連れてくるお母さんもいました。こども食堂の応援も兼ねてひとり暮らしの人が来て、子どもたちと話しながら一緒に食べることもありました。

コロナ禍以降は、ひとり親の家庭と、区の紹介を受けて困難を抱える大人が来ることが増えましたね。「気まぐれ八百屋だんだん」で一緒に食べることをやめ、現在まで予約制でお弁当を提供しています。

利用している方々から、直接こども食堂について感想を聞くことはありませんが、取材で彼らが話しているのを聞いていると、どうやら楽しんでくれていたようです。

こども食堂で食べていると、大家族の一員になったように感じられるんですね。一緒に食べる兄弟がいない、両親はいるけど2人とも帰宅が遅いとか、反対に2人とも子どもより早く出社するとか、誰かと一緒に食べる時間がほとんどないという子どももいます。ひとり親なら尚更ですよね。ここであれば誰かしらがいるし、「早く食べなさい」なんて怒られることもない。食べながらワイワイできたので、楽しい時間だったんじゃないかなと思いますね。

ともしび atだんだんで心掛けていることはなんですか?

特にこども食堂は、スタッフにはできるだけ負担をかけないように心掛けています。できる範囲以上のことをすると、ボランタリーの域を超えてしまうんです。今も負担を課さないということは、常に考えていることですね。

こども食堂への思いをお聞かせください。

これも始めた当初から、あまり変わっていません。最終的には、こども食堂なんかいらなくなればいいと思っています。こんなことをいうと、「居場所がなくなったら困る」という人もいるとは思いますが、そもそもこども食堂に来られる人は限られてしまっています。

一番大切なことは、「お互い様」と言い合える地域づくりです。お隣さん同士が少し気を使い合って、日々のちょっとした関わりを持てることだと思うんですよね。昔のように向こう三軒両隣がワイワイみたいなことではなくていいんですけど、少し気を遣うだけで、家族でも、ひとり親でも、ひとり暮らしでも、障がいを持っていても、不安はなくなるんじゃないかと思うんです。そういったことを、当たり前にできる地域になってほしいと願いながら活動をしています。

あえてこども食堂を増やすなんてことはしなくてもいいんじゃないかとも思っていますね。こども食堂の運営に助成金が下りることもありますが、応援しなきゃいけないのはこども食堂ではなくて、子どもとその親なんです。そこを間違ってほしくないとは思います。

今後の、ともしび atだんだん、そしてこども食堂の展望は。

こども食堂をもっと広めたいとか、そういった思いは全くありません。でも、夕方6時になったら、すべての家庭の入り口にこども食堂の目に見えない暖簾がかけられるような地域になればいいと思っています。暖簾は人を思う気持ちの例えです。

家庭や子どもによっては、いくつもの困難が複雑に重なり合っていて、私が何か行動をしたって、そんなにすぐに解決できるわけじゃない。行政につなぐことができても、また元の状態に戻ることもあります。そういった人でも、日々の生活ができるようなつながりがあるということが、すごく重要だと思いますね。

最後に、こども食堂を運営する人にメッセージをお願いいたします。

今は立派なこども食堂がたくさんありますが、それを真似しなければいけないわけではありません。こども食堂に限らず、自分にできることをやればいいんじゃないかと思います。自分の住んでいる地域に何が必要なのかを知ることも大切ですよね。自分がどうなったら生きやすくなるかを考えてみるのもいいのではないでしょうか。

「応援するべきはこども食堂ではなく、子どもとその親」という言葉に、こども食堂の本来あるべき姿を見ることができました。近藤さんの「できる範囲で行う」という姿勢は、これからこども食堂を開設しようとしている人の指針になると思いますので、ぜひ参考にしてみてください。

一般社団法人ともしびatだんだん
代表理事
近藤博子