ビジネスケアラー
2025-04-24
【インタビュー】親の介護は突然に?私たちは介護をどのように受け入れるべきか?

大学卒業後わずか数年で母親の介護に直面し、3年間の介護を経験した岩井ダダンダンさん。母親は悪性リンパ腫によって認知・身体機能の低下が徐々に進んでいき、自分の将来への不安を抱えながらも介護に向き合ってきました。「やるしかない」という思いとともに日々を過ごす中で体験した絶望感や家族との葛藤、そして介護を終えた今だからこそ伝えたい言葉とは――。増加する介護離職の問題や、若年介護者が直面する困難について、リアルな体験談をうかがいました。
親の介護は突然やってくる?まず知っておきたい基礎知識
――親の介護の問題に直面するのは、40歳から50歳あたりが多いと思います。それと比べると早い時期でお母さまの介護に関わったはずですが、ご自身が何歳のときに介護が始まったのでしょうか。
岩井ダダンダンさん(以下、岩井):自宅での介護が始まったのは2020年ですが、私が本格的に携わったのは2021年の25歳の頃です。当初は父がほぼ一人で母の介護をしていましたが、次第に父だけでは母をトイレに連れていくことが難しくなり、私も関わるようになりました。ちょうど転職した会社が在宅勤務を認めてくれたので、自然の流れで母の介護に携わるようになりました。
――そこから何年間、介護をする生活が続いたのですか。
岩井:母を看取ったのが2022年1月だったので、介護は約3年間続きました。時系列は前後しますが、2019年5月に父から母が病気で入院したという連絡を受け、初めて状況を知りました。母の病名は悪性リンパ腫で、当時69歳でした。
――介護が始まった当初、お金や体力面など、具体的にどのようなことが一番心配でしたか。
岩井:ありがたいことに、お金の心配はそれほどありませんでした。私自身、在宅で働いていましたし、父が貯金を切り崩して大きい部分を担ってくれていました。お金の管理や手続きも父がやってくれていたので私が担う部分はほとんどなかったです。
体力面は、若かったので腰や肩が痛いと感じることはあまりなかったと思います。ただ、母自体の筋力が弱まってきたため、それを支えるのが大変でした。
あとは、私も父もストレスを抱えていたのでコミュニケーションがぎこちなくなることがありました。母は悪性リンパ腫が前頭葉(思考や判断、情動に関わる脳の一部分)にできたため、認知機能がかなり低下して、コミュニケーションが全く取れず、記憶もあやふやでした。母とコミュニケーションが取りづらくなったことは、かなりきつかったですね。母は比較的意識がはっきりしている日もあって、そんな時に私は心ない言葉を発してしまうこともあり、後で「どうしてそんなこと言ってしまったのか…」と後悔することもありました。全体的に自分に余裕がなかったと思います。
いざという時に慌てないために——介護を受け入れる心構え

――介護をしなければならない状況になったとき、岩井さんの率直なお気持ちはいかがでしたか。
岩井:正直にいうと嫌でした。介護って明確な終わりがないじゃないですか。翌年かもしれないし、20年後かもしれない――。そして、介護の終わりは人が死ぬことです。言い方を選ばずに言うと、「介護が終わってほしいと思う」ということは「自分の親に死んでほしい」という気持ちが数%でもあるってことですよね。そう思ってしまう自分に対しての嫌悪感もありました。
あとは自分のキャリアに関する漠然とした不安です。当時、介護がスタートしたのは新卒3年目というタイミングだったので、仕事も満足にできていないという自覚もありました。まだ自立できていないのにこれからどうなってしまうのか、自分の人生にモヤがかかってしまうような、そんな漠然とした不安を抱えていました。
――介護を始めてみて、想像していたのと違った点や、「こんなはずじゃなかった」と思う辛い経験はありましたか?
岩井:特に想定外のトラブルに見舞われた記憶はありませんが、今思えば、それ以上に絶望的な気持ちでいることのほうがつらかったように思います。とはいえ、その気持ちに浸っているわけにもいかず、「やるしかない」という覚悟もありました。
実家も私の住まいも都内にあり、勤務先も関東圏でフルリモートだったため、介護に関わらないという選択肢は考えもしませんでした。母が立てなくなったときも、「やるしかないな」と自然に受け止めていました。
もし実家が地方にあったら、「お金は送るからしばらく頑張ってくれ」という選択肢を取っていたかもしれません。ただ、私は結婚して子どもがいるわけでもなく、そうした事情がある状況ではありませんでした。両親以外に守るべき存在がいれば、また違った考え方をしていたかもしれませんが、少なくとも当時の私は「自分の未来は一旦置いておけば何とかなる」と割り切っていました。
――介護中に精神的、肉体的につらいと感じたことはありましたか?
岩井:排泄の介助が一番つらかったですね。基本的に父がやってくれていましたが、日中は私が手伝わないといけなかったですし、寝たきりになってからは私が母を横に起こして、父がおむつを替えるというようなことをしなければなりませんでした。精神的、肉体的にもきつかったです。
どちらがつらかったかというと、おそらく精神面ですね。私は若かったので何とかなっていましたが、肉体的につらかったのは父のほうだったと思います。夜中に起きておむつを何度も替えていたため、父は今でも夜中の2時か3時頃に1回起きてしまい、熟睡できないと話しています。
仕事と介護の両立は可能?負担を軽減するための工夫とは?
――仕事と介護の両立で具体的に1日のどれくらいの時間を介護に費やしていましたか?また、仕事との兼ね合いはどうしていましたか?
岩井:一番大変だったときは、母が寝たきりになる前でした。介護は日中の時間がメインで、1回の排泄介助が30分から1時間くらいかかっていたと思います。洋服を替えたり、シャワーまで行ったりしなければならない状況だと、1時間以上かかることもありました。そうやって1日が細切れになってしまうので、集中力が続かず仕事に支障を来すこともありましたね。ただ、職場と業務の調整を相談していたので、何とかやりくりできました。
職場の人が「何かあったら中座しても構わないよ」と声をかけていただいたのは、ありがたかったですし、環境に恵まれていましたね。
介護は一人で抱え込まない!公的支援とサービスの活用のポイント

――動けていた時期と寝たきりの時期では必要なサービスも変わってくると思いますが、介護保険サービスはどのように活用されていましたか?
岩井:母がまだ歩けた頃は、リハビリと通所での入浴サービスを利用していました。自宅のお風呂は2階にあったので、通いで入浴できるのはありがたかったです。寝たきりになってからは訪問介護がほぼ毎日入るようになり、訪問診療の先生も定期的にいらしていました。この時期になると通いが難しく、家に来てもらってケアしてもらうサービスが中心でした。母は糖尿病も患っていたので、医師や看護師に管理をしてもらっていました。
――専門家のサポートのもと、自宅での介護を行っていたと思いますが、介護保険サービスだけではすべてをカバーするのは難しいと思います。親戚や近所の方など助けてくれる人は周りにいましたか?
岩井:助けを求められる親戚はほとんどいませんでした。父の兄弟はいますが、父が一番年下で当時75歳。5人兄弟の末っ子なので、一番上の兄は90歳くらいでした。他の兄弟も体調が芳しくなかったため介護を手伝ってもらうことは難しかったですね。私自身も親戚付き合いは全くなく、いとこにも会ったことがありません。そのため、身内の助けはない状態でした。
親の介護とどう向き合う?実体験から学ぶリアルな課題と解決策

――介護をしていると、思うようにいかず、イライラしてしまうこともあると思います。どのようにして乗り越えられたかを聞かせていただけますか?
岩井:とにかく思い通りにならないことに対してイライラすることが多かったですね。何で喧嘩したのかという内容は覚えていないのですが、特に父とはよく喧嘩していました。
普通の介護だったら感謝の言葉を聞けることもあったかもしれません。私の場合、母の認知機能が低下していたこともあり、コミュニケーションが取れなかったのが、きつかったですね。そのため、心を落ち着かせるために愚痴を吐き出したり、生き方や哲学、仕事に関する内容の本を読んだりしていました。本を読んでいると自分を俯瞰できて、気持ちに折り合いがつくんですよね。その他にも、自分と似たような状況にいる方がいるんだと知れて、気持ちが少し楽になることもありました。
――今振り返って、あの時こうしておけば良かったと思うことや、これから介護に直面する方へのアドバイスがあれば教えてください。
岩井:頑張らないようにすることです。介護をする人が潰れてしまわないように使えるサービスは有効活用することをおすすめします。介護をする家族が体を壊してしまうとどうしようもないので、自分を守る意味でも頼れるものは頼りましょう。
あと、介護は年齢によっても負担になる項目が変わってきます。私は20代で介護が始まったので自身のキャリアに対して絶望を感じましたが、例えば、30代から40代で介護が始まっていたら、また別の絶望があるかもしれません。家族や子どもがいる状態での介護は、子育てや仕事についても考えなければならないので、より大変だと思います。
でも1人じゃないということを知ってほしいです。同じような状況の方はたくさんいるので、少しでもこの話が誰かの助けになればいいなと思います。
編集後記
今回の取材で、20代という若さで親の介護に直面する現実があることを改めて知りました。認知機能の低下した親とのコミュニケーションの難しさ、仕事との両立、自分の将来への不安など、介護者が抱える問題は多岐にわたります。
特に印象的だったのは「介護する側のケア」の重要性です。「頑張りすぎない」「頼れる人に頼る」という言葉は、多くの介護者に届いてほしいメッセージだと感じました。また、年齢によって介護の困難さは変わってくるという視点も重要なポイントだと思います。今の日本では介護の問題は他人事ではなく、誰もが直面する可能性があります。この記事が読者の方々にとって、自分自身や家族の将来について考えるきっかけになれば幸いです。
(撮影/鈴木 孝正)

1996年東京生まれ。フリーランスのデザイナーをする傍ら、バンド「ハイパーパンチ」のギターボーカルとして活動。その他に、バンド「hypercat」のドラム、Webメディア「応答」の編集兼ライターとしても活動している。
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